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札幌地方裁判所岩見沢支部 昭和45年(わ)118号 判決

被告人 川村進

昭二三・二・三生 ブルドーザー運転助手

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

未決勾留日数中一〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となる事実)

被告人は

第一、公安委員会の運転免許を受けないで、昭和四五年五月一九日午後七時三〇分ころ、夕張郡栗山町中央一丁目樺沢方付近道路において普通乗用自動車(札五そ六二七九号)を運転し、

第二、前記日時場所において法定最高速度毎時六〇キロメートルを超える毎時七〇キロメートルの速度で普通乗用自動車(前同)を運転し、

第三、公安委員会の運転免許を受けないで、同年九月二五日午前零時四五分ころ、砂川市富平五番地付近の道々滝川・赤平線路上において普通乗用自動車(前同)を運転し、

第四、前記第三の日時場所において普通乗用自動車(前同)を無免許運転中、折から交通の取締その他犯罪の予防捜査に従事していた砂川警察署空知太警察官駐在所勤務巡査桃野健一(三〇歳)に不審を抱かれ、停止を命ぜられて同自動車を一時停止し、運転席右側の半開きになつた窓から同巡査に覗き込まれて運転免許証の提示を求められるや、自己の違反行為が発覚し検挙されるようなことになれば度重なる違反のため厳重な処罰を免れ得ず、かつ当時同乗していた女性に迷惑をかけるのではないかとの虞れから、急にその場から逃走しようという気を起し、やにわに同自動車を発進させたところ、咄嗟に同巡査が運転席右側の半開きになつた窓ガラスに右手をかけ同窓のセンターピラーを左手で掴んだのに、かまわず加速進行したため、同巡査が引きずられながら「停めろ、停めろ」と叫びつつ同自動車に必死にしがみつく状態となり、被告人はこれに気付いたがなおも叫び声を無視して加速し、速度が毎時約五〇キロメートルになつたころ、同巡査を転落させても逃走しようと決意し、前記速度で疾走を続けながら窓ガラスにかけている同巡査の右手を手で払い上げ、前記停止地点から六九メートル進行した地点の道路脇に同巡査を墜落転倒させ、よつて同巡査の公務の執行を妨害するとともに、同巡査に約三週間の安静加療を要する右足関節捻挫兼右下腿右膝関節擦過打撲症の傷害を与え

たものである。

(証拠の標目)(略)

(殺人未遂の事実を認定しなかつた理由)

本件殺人未遂の訴因の要旨は、被告人は判示第四の日時、場所において桃野巡査に停止を命ぜられて前記自動車を一時停止し、同巡査に運転免許証の提示を求められるや、無免許運転の検挙を免れるため、やにわに同自動車をその場から発進させて逃走し、同巡査が判示第四記載のとおり引きずられながら「停めろ、停めろ」と叫んで停止を命じているのに拘らず加速進行し、右停止地点から約六〇メートル進行して速度が毎時五〇キロメートルに加速されたころ、かかる状況において同巡査を同自動車から墜落転倒させた場合には路面に頭部を強打したり後輪に捲き込まれて轢過されるなどして同巡査が死亡する危険のあることを認識しながら、検挙を免れるためにはそのような結果が発生するもやむを得ないと敢えて結果の発生を意に介することなく同巡査を転落させても逃走しようと決意し、判示第四記載のとおりの方法により同巡査を同自動車から墜落転倒させ、よつて同巡査に判示第四記載の傷害を与えたが、たまたま墜落地点が道路右脇の地面の柔かい水田の中などであつたため殺害するに至らなかつたものである、というのであるが当裁判所は右の未必的殺意を否定して判示第四記載のとおり傷害の事実を認定したので以下にその判断を示すことにする。

一、まず被告人の捜査段階での供述をみると未必的殺意の存在を肯定するかのごときものがあり、その代表的なものを摘記すると、「この警察官を殺そうとは全く考えてはおりませんでした。ただ何とかしてこの場をのがれたいという気持が頭の中いつぱいでしたから警察官が車から落ちてどんな結果になつてもかまわないという気持で走り続けたのです。」「当時私の車は次第に右側に寄つて行つていましたからそんな危険(落下後車輪に捲き込まれる危険の意)があつたことは判りますが、それも考えずに走り続けたのです。当時の私の気持は確かにこの警察官が車から落ちればどうなるか、死んでしまうかも知れないという事が考えられましたけれどものがれたい一心に走り続け、そして警察官がなお手を放さないので私の右手で警察官の窓につかまつている手を払つたのです。」(検察官に対する昭和四五年一〇月七日付供述調書)、「私は警察官を殺そうと思つてウインドにつかまつている手をはらいのけたのではなく警察官を落してでも逃げようとしてやつた事でありますが、ただその時もし警察官が車から落ちたとき石に頭を打つとか車の下になつて死ぬかもわからんと思いましたが逃げたい一心からそれでも仕方ないという考えは頭のどこかにありました。」(司法警察員に対する同年九月二五日付供述調書第二〇項)という部分がそれである。しかし他方では、「走つている車にやつとしがみついている人を落すのですから落ちたら頭を打つたり後輪に巻き込まれたりして大怪我をするか場合によつてはそのために死ぬこともあるということは私も自分で車を運転しているし毎日新聞やテレビで交通事故のことを見たり聞いたりしているので判つていました。だがあの時は逃げたい一心で何とか桃野巡査から逃れたいと思つて、そればかり考え桃野巡査の身体のことは深く考えませんでした。」(検察官に対する同年一〇月八日付供述調書)とも述べているのみならず、前記殺意を肯定する如き供述もその前後の供述内容と合わせてこれらを一体として読むと、犯行当時の実際の心理状態をそのまま述べたものとの心証を惹き難く、むしろ犯行後冷静さを取り戻して自己の行動を反省した際の心境ではないかとの疑問を払拭しきれない。そこで本件犯行の経緯とその際の客観的状況を検討することによつて、それらとの関連において被告人に殺意が存したか否かを推認するのがより合理的であると考える。

二、(証拠略)によれば、被告人は犯行前夜砂川駅で女友達と落ち合い本件自動車(ニツサンサニー、一〇〇〇CC車)を運転して雨龍町所在の喫茶店「想い出」に行き二、三時間過ごした後同女を歌志内市の実家へ送り届けるため再び同自動車助手席に同女を乗せて走行し、滝川市に至り空知大橋を過ぎたころ自己の無免許運転が発覚するのを恐れて、検問等の実施される可能性の高い国道を避け道々滝川・赤平線に入つたこと、同道路は水田地帯を貫通する幅員約六メートル、非舗装(砂利敷)の平坦な直線道路で附近に農家が散在するだけで普段から交通量が少なく、犯行当時は深夜(午前零時三〇分すぎ)ということもあつて被告人運転のもの以外に走行車輛がなかつたこと、ところが偶々本件犯行現場付近において、酒酔い運転者を検挙し交通切符等の記載をすませて同人に交通法規に関する説明をしていた桃野巡査から不審を抱かれ被告人が停止を命ぜられたこと、被告人は判示第一、二記載のとおり無免許運転で検挙されたことがあり再度検挙されることになれば厳重な処罰は免れえないと考えるとともに、同乗している女性が美人コンテストの北海道代表という世間の話題になりやすい立場にありテレビ局との出演契約上男性との交際に強い制約を受けている事情を知つていたので新聞種になるなどして同女に不利益が及ぶのを恐れ、また同女に自分が無免許であることを知られたくないという気持も加つて一瞬停止することをためらつたが、違反が発覚しないまま通過を許される場合もありうることを思つて道路左端に一時停止したところ、恐れていたとおり免許証の提示を求められたので咄嗟に逃走を決意し、ギヤをセコンドに入れアクセルを一杯に踏み込んで発進したこと、しかし同巡査が予想に反し車体を掴んだまま停止を命じたのでこれを振り切ろうとして加速し約二〇メートル進行したところ同巡査が車体に引きづられる状態になつたのになお手を放そうとしないことに気付き焦燥の念にかられて一層加速したこと、そのうち同巡査を引きずつている重みからハンドル操作が思うようにならず、車体が次第に右へ寄つて行き、右一時停止の地点から約六〇メートル進行したころには道路右端一杯にまで達し、速度はおよそ毎時五〇キロメートルになつたこと、そのころ被告人はハンドルを握つていた右手を放し、同巡査が半開きの窓ガラスに掴つていた右手指(拇指を除く四本)を払い上げたため、既に殆んど力尽きていた同巡査は路肩部分に落下し、その反動で右側の一段低い田圃内へころげ込んだこと、右の路肩部分は路面の砂利、玉石等が寄せ集つて幾分高くなり雑草がまばらに茂つている状態であつたこと、同巡査が当時着用していたヘルメツトは右転落の際の衝撃により落下地点の三、五〇メートル前方に、同じく眼鏡が二、五〇メートル前方にとばされ、同巡査自身も判示第四記載のとおりの負傷をしたこと、被告人運転の自動車は同巡査が転落した直後路肩から脱輪し、被告人がハンドルを左へ切つて道路上へ戻そうとしたが上がることができず、前方に電柱が見え衝突の危険が生じたので、被告人は急拠田圃内へ同自動車を進入せしめ、同巡査の落下地点から約六〇メートル進行して停止し、車外へ出たところで同巡査に逮捕されたことが認められる。

三、右事実を総合して考えるに、時速約五〇キロメートルの高速で疾走する自動車から転落させられた桃野巡査に死の結果が発生するについては三つの場合がありうると考えられる。即ち、(1)転落の際に頭部その他身体の重要部分を強打した場合、(2)転落の際当該自動車の車体下部に巻き込まれ後輪に轢過された場合、および、(3)転落して負傷し路上に倒れているところを他の通行車輛によつて轢過される場合がそれである。ところで本件の場合犯行現場である道路が前記認定のとおりの時間的場所的関係から具体的に走行中の自動車が一台もなく、かつ被告人が一時停止した付近に桃野巡査の指示により車を止め車内で酔いをさましていた者がいたこと(桃野健一の検察官に対する供述調書)などから右の(3)の場合は殆んどありえないところである。また被告人運転の自動車は乗用車のうちでも小型の部類(車長三、八二〇メートル)に属し、路面と車体下部との間隔が僅か一七センチメートル(司法警察員作成の昭和四五年九月二八日付実況見分調書)にすぎなく、また同巡査が窓ガラスを掴んで引きずられている状態での同巡査の足の位置が同自動車後輪の真横かやや後方に達しており(検察官作成の実況見分調書)、これに転落時における身体の反動を考慮すると右(2)の場合による致死の結果招来についてもその蓋然性は極めて低いといわざるを得ない。結局本件においては頭部等身体の重要部分を強打するために発生する致死の危険性が問題となるところ、一般的には疾走中の自動車から転落した場合に右のような高度の危険性が存することは常識的にもこれを肯定せざるを得ないけれども、本件の場合は転落といつても前記のように小型乗用車の窓を掴みながら下半身を地面に引きずられている低い姿勢から振り離されるのであつて、たとえば貨物自動車の荷台から転落するといつた場合に比較するとその危険性はかなり低いと思われるのである。これについては、同巡査が負うに至つた傷害の程度が判示第四記載のとおり約三週間の治療を要する関節捻挫および擦過打撲症という比較的軽微なものであつたことも一つの推認資料となし得ると考える。もちろん、このように軽微な受傷ですんだ主たる原因は同巡査が比較的年令が若く普断から柔剣道(いずれも有段)で身体の鍛練に励んでいたことから転落時に反射的に適切な防禦姿勢をとり得たという偶然的要素に負うところが大きいと考えられるのであるけれども、本件の場合振り落される者が交通取締に従事中の警察官(通常ヘルメツトを着用しており、また咄嗟の場合に身体を防禦する能力は通常人より優れていると思われる。)であること自体は危険性判断の前提となるべき事柄であり、これを考慮したうえでなお本件において致死の結果発生の危険性が高度であつたと認定することは困難であるといわざるを得ない。

以上の客観的状況に加えて、被告人が逃走を企図し前記自動車を発進させてから同巡査を転落せしめるまでに走行した距離は六九メートルにすぎなく、その間の時間はせいぜい数秒という短時間であつたこと、同巡査が車体に手をかけ、引きずられても容易に放そうとしないなどということは被告人にしてみれば予想外の事柄であり、相当狼狽したであろうことは推測に難くなく、更に逃走を企図した動機にそれほどまでの切迫性が認められない点などを考慮すると、かかる瞬間的な、特殊な状況下の咄嗟の行為のさ中に未必的にせよ殺意を形成するゆとりがあつたかどうかは疑わしいというべきである。とすれば未必的殺意を肯定する前記の各供述はいずれも犯行当時の心理状態をありのまま述べたものとしてそのまま措信することはできず、他にこれを認めるに足る証拠はないから、判示のとおり傷害の事実を認定した次第である。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は道路交通法一一八条一項一号、六四条に、判示第二の所為は同法一一八条一項三号、六八条、二二条一項、同法施行令一一条一号に、判示第三の所為は同法一一八条一項一号、六四条に、判示第四の所為のうち公務執行妨害の点は刑法九五条一項に、傷害の点は同法二〇四条に、それぞれ該当するところ右のうち第四の公務執行妨害罪と傷害罪とは一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから同法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い傷害罪の刑で処断することとし、以上の各罪につき所定刑中いずれも懲役刑を選択し、これら四つの罪は同法四五条前段の併合罪なので同法四七条本文、一〇条により一罪として最も重い傷害罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役一年六月に処し、同法二一条により未決勾留日数のうち一〇日を右刑に算入することとする。

なお量刑につき付言するに、被告人は少年時に無免許運転の罰金前科があり、昨年八月には免許がないまま判示自動車を月賦購入し、以来今日まで少なくも五、六千キロメートルこれを運転していたものであつてこの種違反を常習としていたのみならず、この間免許取得のため真摯な努力を払つたこともなく、判示第一、二の違反で検挙された後取調等のため捜査機関から四度にわたつて呼出を受けながらことごとくこれを黙殺するなど遵法精神の欠除が著るしく、本件公務執行妨害、傷害の罪は起るべくして起きたものといわざるを得ない。桃野巡査の負傷は前記のとおり結果的に軽微なものにとどまつたとはいえ、時速約五〇キロメートルで疾走中の自動車から払い落とすという前記犯行態様からみて、少し運が悪ければ重傷は免れえず、場合によつては死の結果を生じたかも測り得ない極めて危険な行為であつて、自己の罪責を免れ或いは女友達の体面を保つというような動機から他人の身体、生命を敢えてこのような危険にさらしたという点においても、悪質な事案であるといわざるを得ない。被告人は保釈後被害者方へ赴いて謝罪し、日常生活等にも右犯行に対する反省的態度が窺えないではないが、交通事故が激増しその対策が叫ばれている折からこのような行為を敢えて行つたことの反社会性は重大であり、その他被告人の年令、経歴、家庭事情等諸般の情状をも考慮して、主文掲記の刑に処するのを相当と考える。

よつて、主文のとおり判決する。

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